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そしてアニ銀、というか動乱編。やっぱり、真選組何やってんの?つか何がしたいのかな?て首を傾げたくなる感じが。トッシーは、真選組を護りたいのは分かるけど、護って何がしたいってのがイマイチよくわかんないのよね、かっこいいだけで。銀が身近なものを護りたいのとはわけが違う、銀はこの上ない喪失を経てそこへ至ってるんだもん。トッシーはまだ護り一辺倒に徹するには若すぎると思うなぁ。
ときどきね、こういう高桂飢えがやってくるのよね。きゅうんとしてどうしようもなくなるのよね。
私にとって高桂はいちばん根源的な何かに触れる組み合わせなのかもしれない。
私は高桂を「切ない」という形容詞でよく思うのだけど、切ないの意味を改めて調べたら、「1.悲しさや恋しさで、胸がしめつけられるようである。やりきれない。やるせない。 2.からだが苦しい。」でした。
悲しさ、恋しさ。やっぱり高桂は悲恋なのかな。
銀桂はね、私にとっては暖かくてゆるくてあまいかんじ。何だかんだいってもいろいろあってもこの2人の絆は崩れない壊れない途切れない。
銀桂の形容として私が一番に思うのは「甘い」なんだけど、甘いの意味を調べると、「砂糖や蜜のような味である。・口当たりが穏やかで、刺激が少ない。・男女の仲がよく、幸せそうなさま。・やさしすぎるさま。・厳しさに欠けているさま。・楽しく、快いさま。・評価の基準が厳格でない。・耳に快い。」などなどでした。けっこういろんなものを含んでいるなあ。
「甘い」に「優しい」とか「厳しさに欠けている」という意味を含んでいるのなら、銀桂は確かにその通りだなあとちょっと思う。互いに対するスタンスが、「なんだこいつマジむかつくけどまあいいか一緒にいたい」みたいな、存在のゆるくやさしい全肯定。互いに相手は思い通りにはならないけど、それがこいつなんだからまあいいや、根底ではちゃんとつながっているし、て感じ。
銀桂は永遠に一緒に歩いていける2人。何があっても大丈夫。
逆に高桂は、互いに対するスタンスがとても厳しくて哀しい感じがする。互いに互いの進む道を許すことができない。互いの進む道は二律背反で、進めば進むほど2人の距離は離れていく。そんななのに、互いに心を相手の傍に残してきたままだから、苦しくてしかたない。
相手を想う心と自分の進む道がどうやったって同時に成立しえない、激しい矛盾に悩まされながらも互いの存在を心の奥深くから取り除くことができない。心の奥底の一番弱くてきれいな部分には、互いの存在がしっかりと根を張っているというのに。
高桂は永遠に一緒にいることができない2人。どうやったって道は別れてしまう。なのに心が離れないから苦しい。
遊海の中のカプ論はこんなかんじです。
こうやって字にしてみると、へー、そんなふうにおもってたんだ、て思う。
つづきにメルフォレスを!
しこしこと土→桂を書いていたはずが、何かの拍子に高桂スイッチが入りました。そして頭に浮かんだ言葉が泣きたいくらいの高桂。
銀桂は甘い。
高桂は切ない。
土桂はおもしろい。(?)
んんん泣きたいくらいの高桂が書けたらいいのにな・・・。こんなとき、自分の物語力のなさを恨めしく思う。
空知はほんとに人と人との、偽善的でないお洒落でもない、太く逞しい関係性を描くのがうまいなあ。ストーリー展開は普段から強引だったり有無を言わせずギャグで押し切る感じだったりするけど、こういう人と人との(今回は犬だけど)根底にある強く切ない関係性の描き方は、力強くてすごいなあと思います。
そして総括。以下は今回のシリーズのねたばれを含みます。
諸所でコタケの当落結果を見るにつけ、いいなー何かオフって楽しそうだなーとか思ってしまう。遊海はネットで気楽に書き散らす方が性に合ってるんですが、自分の書いたものを本にしていく過程って、きっと楽しいんだろうな。すごい大変そうだけど。
続きに拍手レスを!拍手のみの方々もありがとうございますv
グラヅラ冒険記の続きが気になる。いつもは月曜は週の始まりでゆーうつだけど、明日はちょっと楽しみです。仕事帰りにじゃんぷ買おうっとv
更新:家族パロ「youthful days」
久しぶりの家族パロはもっさん初登場で。土佐弁はかなりてきとうです、悪しからず。
もっさんと銀のやりとりを考えるのは楽しいですね、何か同年代の男2人でバカやってるって感じの関係が好き。